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あらすじ

原作小説『プラータナー:憑依のポートレート』(ウティット・ヘーマムーン著)
タイ語原題:“Rang Khong Pratthana”(英訳 “Silhouette of Desire”)2017年6月/Juti出版

2016年、バンコクに住む画家のカオシンは、Facebookを通じて連絡してきた若者ワーリーを自らのモデルとして迎え入れる。
モデルは命を持つべきではないとの考えのもと、カオシンはワーリーと関係を結ぶことを拒みながら、その姿を描き続け、同時に自らの過去の性愛をワーリーに語って聞かせる。1991年の軍事クーデター・翌年の「暴虐の5月」と女性詩人、1997年のアジア通貨危機と芸術大学の同級生、2006年の軍事クーデターと帰国子女の若い女性アーティスト、そしてレンタルビデオ屋の男性店員との三角関係。

カオシンが人々と紡ぐすべての関係が身体・欲望・芸術のあり方をめぐって描かれ、その後景には常にタイの政治が存在する。ワーリーとの関係の背後にも、2014年の軍事クーデターがある。自分の描く絵の中に永遠を捉えておきたいと願うカオシンだが、その一方ですべての人々がカオシンの元から去っていく。人間の身体と、国家という身体の輪郭と欲望を、タイにおける政治・芸術・サブカルチャーの変遷を通じて描く長編小説。

*作品タイトルの「プラータナー」は、ウティット・ヘーマムーンによる原作小説のタイトルで言及されるタイ語で、「Desire= 欲望」の意。「望み」の意もある。

みどころ

2014年の軍事クーデター以降タイで続く政治的混乱の中、精力的に活動を続ける小説家、ウティット・ヘーマムーン。現実/非現実、歴史/神話、政治/個人の間を縦横無尽に飛び回りながら、普遍的な問いに向き合う作品世界が評判を呼び、東南アジア文学賞やセブン・ブック・アワードを受賞している。

『プラータナー:憑依のポートレート』の原作は、へーマムーン自身の半生を色濃く反映した最新長編小説。バンコクに暮らす一人の芸術家が体験したタイにおける政治的動乱と、彼が結ぶ性愛の関係が重ねて語られる。

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アーティスト・メッセージ

ウティット・へーマムーン(原作)

自身の作品が舞台演劇に翻案されていくさまを目にすること。それは喜びをはるかに上回る経験だ。心中の欲望が、現実のものになったのだから。抑圧され、語ることもできず、語らせてももらえず、自由を欠いたこの社会で、挑戦的であると見なされ、禁じられているものが、この物語には満ちている。非常に脆く、鋭いものが。この作品に信頼が寄せられて、岡田利規という、芸術的創造の思考と視点を十全に備えた演出家の手に渡り、舞台演劇へと脚色される。禁忌と挑戦が、ぼくたちの心を捉えるものになる。

ぼくたち二人は芸術家だ。民族、それぞれが住む社会、コミュニケーションの言語がどのように異なっていようとも、創作を始めれば、共通点が生まれる —脆く、危険な、針金を這い登っていく。演劇の如きしぐさと身のこなしを生み出すために。美しく生きるために—芸術創造の中で。
だからこそ、なにがあろうとも、この舞台作品を見逃すべきではないのだ。

2018年6月 ウティット・ヘーマムーン

岡田利規(脚本・演出)

ウティット・ヘーマムーンによって紡がれた、怒りと悲しみから生み出されたエネルギーに充ち満ちている小説、現代のタイの社会に生きる芸術家の半生における性愛の遍歴が、芸術との遍歴が、そして、激しく揺れ動き続けるタイの政治状況・社会状況の中で格闘し、消耗し、スポイルされて無気力になっていく様子が描かれた、おそろしく濃密度で、挑発的で、痛々しいまでに切実な小説。それを原作にして、演劇をつくろうとしている。

わたしたちが身体に囚われて生きていること。身体の欲望に囚われて生きていること。国家に囚われて生きていること。国家の欲望に囚われて生きていること。それらのものに囚われるしかないまま、わたしたちが生と闘って、疲れて、歳をとっていくこと。そのことを、演劇の上演として、体現させようと考えている。誰も見たことのないような形式の演劇をつくりだすことによって。

2018年6月 岡田利規

塚原悠也(セノグラフィー・振付)

最近、90年代の頃をよく思い出す。自分が14歳のころが93年で、20歳が99年。94年がアメリカW杯で98年がフランスW杯。90年代と現在とではサッカーは全く異なるスポーツだ。それはおそらく僕らの所作にも言えることで、歩き方や、だべり方、人々の距離感など、最近ずっと考えている。懐かしさ、だけではなく、現在を理解するための「原因」のような要素がこの時代にたくさんある。そんなことはこれまで思ってはいなかった。ほぼ盲点。ペラペラのユーロビート。テレビに映る政治家の所作。ビデオデッキにガチャガチャと吸い込まれるポルノのVHS。やっとそういうものが作品化される時代が来た。かといってぼくはやはり自分の仕事として全力でこれらを解体したい。

2018年7月 塚原悠也

プロフィール一覧

よみもの

ウティット・ヘーマムーン×岡田利規|対談レポート

今回のトークに参加した筆者は、エドワード・オールビーが1958年に執筆した『動物園物語(原題“The Zoo Story”)』のことを思い出した。オールビーが自身の脚本の中で「檻」と呼んでいるものは、筆者の視点で見ると、岡田とウティットが述べた「境界」と比較できるのではないだろうか。――(2018/8/9 タナノップ・カーンチャナウティシット)

「あなた」の人生の物語 |『プラータナー:憑依のポートレート』バンコク公演レビュー

長い長い物語は、水辺から始まり水辺で終わる。2016年のプールサイドから1992年の川べりへと移りゆく前者と、16年10月13日のチャオプラヤー川に架かるラーマ8世橋が舞台の後者。『プラータナー:憑依のポートレート』は、この約四半世紀の隔たりを約4時間かけて描くが、始まりと終わりに登場する、恋人同士あるいは師弟のような2組のカップルを演じるのはまったく同一の俳優2名である。――(2018/8/28 島貫泰介)

原作翻訳・福冨渉による作品解説

「プラータナー[Pratthana]」。このタイ語の言葉を日本語に訳すとすれば「欲望」となるだろう。だがこの欲望は、性的な、荒々しい欲望だけでなく、未来を見すえた望みや希望も示す言葉だ。――(2018/8 福冨渉)

『プラータナー』の変遷

2015年に最初の出会いを果たしたウティット・ヘーマムーンと岡田利規。わたしたちの生きる現代を鋭い視点で観察し、作品を創作してきた同世代の二人の鬼才が、『プラータナー:憑依のポートレート』創作への第一歩を踏み出したのは、出会いから1年ほどを経た2016年11月。それから対話を重ね、さらに塚原悠也が加わったことで、本作のコンセプトは大きく展開した。

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外部リンク一覧